日中医学交流センター物語

創設期

1991年ハルピン医科大学卒業後東京大学医学部に留学していた朴順子医師は中国政府の要請で、中国の医療改革を日本から支援するため中国衛生部所属の中華医学会東京連絡事務局として日中医学交流センターを開設した。

設立にあたっては当時市川第一病院院長の一宮勝也先生に初代会長の受諾と事務所の提供までも協力いただき、また元衆・参議院議員の宇都宮徳馬先生には名誉会長就任の快諾をいただき、物心両面から惜しみなく交流センターを支えていただいた。同時に日本の医師、医療関係者はもとより中国側でも日本に親しみを持つ多くの医師、医療関係者から交流活動への積極的な支援、協力を得た。

1990年代

このような背景を受け、開設年度には身障者用車椅子を150台寄贈したのを端緒として、十分に使用可能な中古の医療機器を製造元メーカーでメンテナンスしたのち中国の貧困地区に数年間に亘って30件200台以上寄贈活動を継続した。また専門医学書を5万冊以上届けるなど1990年代はハード面を中心とした活動が推進された。

一方、ソフト面である人的・学術的交流も開設当初より積極的な取組みが行われ、訪中団、訪日団による人的交流、両国でのシンポジウム開催による学術交流を合わせて年間10回以上もの企画が実行に移された。

2000年代

2000年代に入ると医療機器等の寄贈活動はその役割を閉じ、より多くの人的・学術的交流や研修・留学活動が交流センターに求められる役割となった。

また国際緊急援助の窓口として、社団法人日中友好協会等と協力し2003年のSARS発生時および2008年の四川大地震発生時には中国政府に対し緊急援助物資及び義援金を寄贈することにより活動の幅を拡げてきた。

この間、積極的な活動が中国各方面に認められ、1995年に日中医学交流センターは中華予防学会東京事務所として、2000年代に入って中日友好医院東京事務所、中国PLDDトレーニングセンター、中国医師会東京連絡所、外国専家局指定海外トレーニング機関と逐次認定された。

2010年代以降

2010年代以降も引続き人的・学術的交流や研修・留学活動が推進され、創設後2016年までに訪中団71件、訪日団371件の計442件の人的・学術的交流及び39件の研修・留学活動が実施され、その活動は今後もさらに内容を拡大・充実して推進して参ります。

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